top of page

​●心の繋がる音

社会人男性と大学生男子がひょんなことから一緒に住みだして幸せになるお話。

センシティブなシーンを含むバージョンはこちら→~準備中~

■キャラクター

〇木更津 両馬

​ 社会人数年目の男性。銀縁眼鏡。

 がたいが良い方なものの、お仕事はエンジニア。

 突然やってきた藤宮に驚くものの、手を差し伸べ、なぜ自分がそんな行動を取ったか自問自答していくことになる。

〇藤宮 マコト

 大学四年生の男子。身長が高く線が細い。

 落ち着いた様子で行動しているように見えるものの、極度に緊張しやすくフリーズしがちなだけ。

 木更津に助けを求めてやってくる。

 夏が終わり、突然肌寒さを感じるようになった頃。
 「そろそろホットコーヒーが美味しい季節だろう」なんて思って、在宅勤務を始める前に外へ出た。
 外へ出ていたのはほんの少し、十分くらいの間だったと思う。
 マンションへ戻り、自室の玄関前にたどり着くと。
「すぅ……すぅ……」
 膝を抱えて、パジャマ姿でスヤスヤ眠っている男の子……大学生くらいの男の子の姿があった。
「?????」

 ………………。
 
 …………。
 
 ……。
 
「……藤宮、マコトです……」
「……藤宮くん。たしか、春頃のインターンシップで会ったことがあるのは覚えているけど、どうしてウチに居るんだい?」
 眠っていた彼を起こして、部屋に招き入れてひと息ついたあと。
 事情を聞いてみると、なかなか話し出さなかった藤宮くんは、ポツポツと途切れ途切れな口ぶりで話し始めた。
「就活……上手くいかなくって、知り合いのお店で……宝くじ、買ったんです。そしたら、めちゃくちゃ当たっちゃって……」
「ふむ。すごいじゃないか」
「親戚中、追い回されて……逃げて、きたんです」
「……ご両親は?」
「”今年の牝馬は絶対当たるから”って、追いかけてきて」
「…………おじいさまやおばあさまは」
「”ボートは当たりやすいんだ”って、追いかけてきて」
「………………叔父さんや、叔母さんはいらっしゃらないのかい?」
「”海外のカジノはレートが高いから”って押し寄せてきて……」
「恐ろしいほどのギャンブル一家ッ……!」
 話すうち、彼のことをだんだんと思い出してきた。
 藤宮マコト。
 たくさんのエンジニアを抱えるわが社の営業部へインターンシップでやってきた大学生たち……その中でも藤宮くんはひと際大人しく、はかなげで、控えめな性格の男の子だった。
 身長はオフィスのどこに居ても目立つほど高いのに線が細く、整った顔立ちの割にどこか自信のない様子で、女性社員たちはこぞって藤宮くんの世話を焼きたがったものだった。
 しかし藤宮くん自身、どうやら女性が苦手なようで、女性社員に話しかけられてはフリーズしたパソコンのように固まっていたのが印象深い。
 一日、二日……と社内での様子を見るうち、男性社員や同じインターンシップ生からはあまり評判がよろしくないらしかった。
 その上、藤宮くんは人一倍もの覚えが良くないようで、たった一人、課題の進捗がよろしくなかった。
 だから一度、個人的に時間を作って資料の作り方や社内コミュニケーションのアドバイスをしてみたことがあったのだ。
 他の社員が居るとよほど緊張するようだったので、ウチ……このマンションへ招いてゆっくり喋ったこともあった。
 まぁ、何も、自分のアドバイスひとつで藤宮くんの様子が改善するという確信があったわけじゃない。
 正直に言えば、改善なんて出来ないだろうと半ば諦めていた。
 私は、社員の一人として我が社に興味を持ってくれた人材へ手を差し伸べないのはオトナとして良くないから時間を割いて体裁を保とうという気持ちの方が大きかったのだ。
 しかし、それでも何か藤宮くんの中では腑に落ちたようで、みるみるうちに彼は課題を終え、実際に社内プロジェクトの進捗管理の一員として十二分に働いてくれたのを覚えている。
 結局、藤宮くん自身の意向で内定とはならなかったと人づてに聞いたが……。
「どうして、私の元へ?」
「……だめ、でしたか……?」
「いや、事情が事情だ。深い知り合いになればなるほど頼れなかったのは分かるが……私は、藤宮くんの他の知り合いたちと比べればきっと、さほど話したこともなかった部類の人間だろう。この家だって一度来ただけだったのに、よく覚えていたね」
「……木更津さんのことしか、思いつかなくって……」
 ソファの上で膝を抱える藤宮くんの目尻に、うっすらと涙が浮かんでいるのがハッキリと見て取れた。
「……ごめん、なさい……」
「……大丈夫だよ。事情が事情だ。キミを責めはしないし、藤宮くんのことも知らない仲ではないからね。そう構ってあげられはしないが、それでもよければゆっくりしていくといい」
「……ありがとう、ございます……」
「良いさ。今はゆっくり休むと良い。この部屋は自由に使ってくれていいから、何かあったら声をかけてくれてたまえ」
「……は、い」
「あとで着替えを持ってくるよ」
 それだけ伝えて、私は藤宮くんを置いて寝室を出た。
「………………」
 書斎のデスクに着いて、少し冷めたコーヒーを一口飲みながら息を吐いて藤宮くんのことを想う。
 インターンシップに来ていた頃……どこか、自分の居場所が無いような、いつも不安を感じているような表情をしていた彼。
 なかなか自分の居場所を見つけられず、大した期待があったわけでもないだろう宝くじなんてモノで……どんな仲だったにしろ、家族や親戚という居場所を失った。
 自分の居場所が無いというのは、どんな気分なのだろう。
 つらいのだろうか、さみしいのだろうか。
 インターンシップで来ていた頃の藤宮くんを思い、今の藤宮を思い、自分のこれまでに対して思うことが出てきた。
 私は、概ね居場所というものについて悩んだことがなかった。
 両親や祖父母、親戚の叔父や叔母たち。学校の友人、趣味の読書、勉学。スポーツ。遊び……。
 自分は常に何かの中にあり、常に自分の中には何かがある感覚があった。
 その何かたちの中を巡って、自分はこれまで生きてきた。
 これまでの時間に、違和感を持ったことはない。
 誰かの中、何かの中を巡って生きていくことについて疑問を持ったことはない。
 ただ……ただ、藤宮くんを見てから……私の中に、得体の知れない感覚があることを感じたのだ。
 朝、昼、晩……仕事とプライベートと時折の休息の中をめぐる自分の暮らしを後ろから眺めている自分が居るのだ。
『あぁ、よく回っているな』
 私を見つめる私が、冷たい声で言うのだ。
 これまで思いもしなかったのに、これまでどんな世界に……どんなドラマチックな世界に触れてきたって、自分の人生と比べたりしなかったのに。
『そんなところを回って、何が楽しいんだ』
 そう言う私が、私を見ているのだ。
 藤宮くんを見てから、気が付いた。
 ずっと前から……きっと、私が私になった頃から。
 小学生の頃か中学生の頃か、もっともっと後になってからか分からないが、私が私としての時間の中で上手く回り出してから、ずっと私を見ている私は居たのだ。
 それに気が付いていなかった。藤宮くんと出会ってから、ほんの少しずつ、ハッキリと気が付くようになってきた。
「……ふぅ」
 なぜ、藤宮くんと出会ってからそんなことを考えるようになったのかは分からない。
 彼の身の上を聞いたのは今日が初めてだったし、彼のインターンシップ生としての成功にそこまでの感動を覚えたかと言えば正直違う。
 では、なぜだろう?
 分からない。
 新着メールの件数、チャットの着信数……画面に並ぶいくつかの数字と文字たちを眺めながら。
 少しだけ。
 藤宮くんの笑った時の顔はどんな表情だったろうか、などと考えるのだった。
 
 ………………。
 
 …………。
 
 ……。
 
「……ふぅ」
 気が付くと時計の針はすっかり回っていて、窓の外はまだ陽が高い。
 業務を早めに終えてツールを終了したところで、書斎を出た。
 寝室のドアをノックしようと近づくと。
『んっ……ん、んぅ……』
 寝室の中からくぐもった藤宮くんの声が聞こえてきた。
「……藤宮くん? 大丈夫かい?」
 ノックをしてから声をかけると、ゴンッと鈍い物音がしてから『あっ、えっと』と驚いた声が聞こえてきて。
『だいじょぶ、です』
 と、遠慮がちな、少し息の上がった藤宮くんの声が聞こえた。
「すまなかったね。仕事に集中してしまってご飯も食べずに過ごしてしまったんだ。藤宮くんも、ご飯はまだだろう?」
『は、はい』
「お腹空いたかい?」
『……少し……』
「どこか食べに行こうか」
『あっ……外は、ちょっと……あの……』
「あぁ、そうだね。ごめんよ。それじゃあ……とりあえず、扉を開けてもいいかい? 着替えをもってきたんだ。この後どうするか話そう」
『あっ、と……は、い』
 カチャ、と扉が開いた。
「す、すみません……」
「ありがとう。眠れたかい?」
「……ちょっと、だけ……」
 部屋に入る。ベッドサイドテーブルに置かれたのはウチのウォーターサーバーの紙コップが一つ。ゴミ箱にはいくつもティッシュが入っていて、黒い泥がついているのが見えた。藤宮くんの足首も少し黒ずんで汚れていることに、やっと気が付いた。
「ごめんよ、シャワー浴びたかっただろう」
「あっ、だ、大丈夫です、そんな」
 踵を返してシャワールームへ向かおうと思ったところで、藤宮くんの言葉を聞いて思わず足を止めてしまった。
「……藤宮くん、座って」
「……は、はい……」
 ベッドへ腰かけて、隣に藤宮くんを座らせる。
「いいかい?」
 ジッと藤宮くんの目を見る。
 すぐにフイッと目をそらす藤宮くんの頬に手を添えて、こちらを見るように促す。
「今、藤宮くんは頭がいっぱいいっぱいだろう。ゆっくりと考えを巡らせるのも、私の真意を想像するのも難しいと思う。だからハッキリと言っておくよ」
「は、い」
「藤宮くん、キミに助けを求められて光栄だよ。嬉しく思っている。キミの助けになりたいと心から思うよ」
「!」
 藤宮くんの目が大きく開かれるのが分かった。
「私がイヤに思うんじゃないかと気を遣ってくれてありがとう、とても嬉しいよ。礼儀正しいステキな人物だと感じているよ」
 藤宮くんの目じりに涙がたまってくるのが見える。鼻をすする音。細い細い彼の髪が私の指先を少しくすぐる。藤宮くんが震えているのが分かった。
「キミのつらい気持ちを想像すると、私も胸が苦しくなるよ。どれだけ力になれるか分からないけど、せめて今の気持ちが落ち着くまではここに居るといい」
「っ……っ……」
 藤宮くんはうつむいて、涙をぽろぽろとこぼしながら、頬に触れる私の手へ触ろうとして……止めてしまった。
「だから遠慮しないで、藤宮くんのことは私の中に置くから。藤宮くんの中にも、私を置いてごらん」
「っ…………」
 言葉を重ねてみても、藤宮くんの手が私の手へ触れることは無くて。
 ……いいや、無理もない。
 藤宮くんの心を想えば、どうやって私を信頼すればよいのだろう。
 ここへ来たまではいい、どうしようもない事情があった。
 藤宮くん自身が、”そう選択してもいい”と自分を許せる状況だった。
 では、その先は?
 私という他人の中に、藤宮くんが置かれているという証明はどこにある?
 藤宮くんは、どうやって私の心を感じればいい?
 私の心を確かめる恐れを……”突然やってきた得体も知れない自分を疎んでいるんじゃないか”と不安になる気持ちを、藤宮くんが抱いていないはずは無いんじゃないか?
 あぁ、どうしてだろう。
 どうして私は、こんなにも藤宮くんの心を思うのだろう。
 どうしてこんなにも、藤宮くんの心へ触れたいと思うのだろう。
 どうしてこんなにも、私の心へ触れてほしいと思うのだろう。
「藤宮くん」
「あ……」
 震える藤宮くんの手を、私から握る。
 嗚咽がまだ収まらない藤宮くんを、そっと抱き寄せる。
 体いっぱいで、私の心が伝わるように熱を伝える。
「大丈夫だ、大丈夫だよ」
「あ、ぅ……っ…………」
 再び激しくなる藤宮くんの嗚咽を聞きながら、私はじっと彼を抱きしめ続けた。
 
 ………………。
 
 …………。
 
 ……。
 
「………………」
 シャワールームから、ザァァと水音が聞こえる。
 私は寝室に残って一人、自分の手のひらを見つめて考えていた。
 胸がザワつく。指先が痺れるような感覚。胸の奥に穴の空いた感覚がする。
 この気持ちは……なんだろう。
 しかし思えば、こんな風に誰かに私を――私個人を必要とされたことがあっただろうか。
 私個人を必要としていると、感じたことがあっただろうか。
 藤宮くんの心は分からない。私はたまたま、彼の中の手に取りやすいところに居た人物だったかもしれないし、彼は嘘をついているかもしれない。
 彼は正しく心の内を話しているわけではないかもしれない。
 彼は、私個人が必要だと思い込んでいるけれど……事情が変われば、心の波が落ち着けば、暮らしが落ち着けば、本当は違ったのだと気づくかもしれない。
 不安、期待、喜びと恐怖。
 どうしてこんなにも、急に、心が動いているのだろう。
 私は……どうしてしまったのだろう。
 と、トツトツと廊下を歩く音が聞こえて寝室の扉が開いた。
「あ……あがり、ました……」
「あぁ、お帰り。温まったかい」
「は、い……」
「……藤宮くん?」
 私のパジャマに着替え、軽く乾かしたばかりの髪が少し濡れている藤宮くんは、寝室の扉の前……私から少し離れたところで立ち尽くすばかりだった。
「どうか、したのかい」
 私のことが恐ろしくなったのだろうか。私を求めていると感じたのは気のせいだったのだろうか。私の持っているものが……必要だっただけなのだろうか。
 何をそんなに焦っているんだ、私は……急にめぐり出す頭が動悸を強めていく。
「あ……そ、の…………」
 藤宮くんが、顔を伏せ気味にして……髪の隙間から、チラリと私を見つめる。
 期待するような、子どものような目で。
「何か、してほしいことがあるのかい? 言ってごらん、大丈夫だから」
 ざわついていた心がスッと軽くなる音がした。
「ま、また……その……」
 遠慮がちに小さな声を出す藤宮くんを見て、フッと笑みがこみ上げてくる。
「あぁ、いいよ」
 ベッドの隣をぽす、と叩いて藤宮くんを招くと、藤宮くんは遠慮がちに腰かけて。
「……ほら、大丈夫……」
 私がもう一度抱きしめると、少しの間……一瞬だけ躊躇した後、今度は私の体にしっかりと腕を回して抱き着いた。
「大丈夫、大丈夫……」
 また涙がこぼれだしそうな呼吸を私の耳元で繰り返す藤宮くんを、そっと抱きしめながら、胸の奥の穴がスゥと埋まっているのを感じた。
 恐怖を感じない。不安を感じない。自分の心に一片の欠損も感じない。
 藤宮くんの、心を感じる。
 埋まっていない。もっと大きなものを求めている。けれど恐ろしくて、求められないでいる。
 あぁ、求められたい。なぜだろう。
 こんなに満たされる思いなのはなぜだろう。こんなに満たしてあげたいと思うのはどうしてだろう。
「藤宮くん」
「……は、い……」
 彼を抱きしめたまま、問いかける。
「自分の心を話すのは怖いかい?」
「………………はい……」
「私の心を確かめるのは怖いかい?」
「………………」
 小さく、藤宮くんが頷く。
「……そうだね、きっとそうだと思う。藤宮くんの心を想うと……私も、何が正しいか分からないよ」
 藤宮くんの背を、やさしくさする。
「藤宮くんが、自分の心に素直になって……自分の心を大切に出来たらとてもステキだと思うよ。けれど、今は難しいとも思う。自分で自分の心を大切にするのが、自分のために他人を求めるのが、簡単じゃない心持ちなんだと感じるよ」
「………………」
「だから、時間がかかってもいい。途方もなく時間がかかったっていいし、思いもよらないくらいすぐでも良いよ。藤宮くん、キミの選択に寄り添うよ」
「!」
 藤宮くんの手が、私のワイシャツをギュッと握りしめる。
「焦ってもいいよ。焦らないで。自分を責めてもいい、自分を責めないで。不安に思ってもいいよ、不安に思わないで。怖がってもいいよ、怖がらないで……心の思うまま、思うままで良いんだ」
「………な………んで……そんな……」
 スン、スンと藤宮くんが鼻をすする音がする。
 背中をさそる手に、小さな嗚咽の振動が伝わってくる。
「どうしてかな。藤宮くんが私を必要としたように、私も藤宮くんへ寄り添いたいと思うんだ。理由なんて分からないよ」
「……っ……っっ…………」
 嗚咽が、大きくなってくる。
「よしよし」
 また、大きくなった嗚咽が収まる、その少し前。
 小さくなり始めた嗚咽の中で、藤宮くんが口を開いた。
「っ、っ…………僕、は……要らない、ですか…………?」
「藤宮くんが、要らない?」
「………………」
 藤宮くんが、小さく頷く。
「僕、僕を…………見る人、なんて……僕……が、どう……どう、思うか、なんて……みんな…………だれも…………」
 時折言葉を繰り返しながら、少しずつ、少しずつ。
「僕、僕……は、要らないん、ですか…………?」
「…………」
 そんなことはない、そう口にしようと思った時、胸につっかえるものを感じた。
 藤宮くんが言いたい”要らないかどうか”の意味は、きっと……私が感じていたことと同じだ。
 私個人が必要とされるかどうかの感覚。
 私が、藤宮くんに求められて感じた感覚。
 これまで私が感じて来なかった……先ほど感じた、”胸がザワつく、指先が痺れるような、胸の奥に穴の空いた感覚”を、藤宮くんは感じているんだ。
 私は何かの中を回り続けてきた。めぐり続けてきた。
 だからこそ、この虚しさに気づかないでいたに違いないのだと感じる。
 では、その中から弾き出された藤宮くんは?
 何かの中を回ることが出来ず、めぐることが出来ず、ただジッと胸に空いた穴を見つめるしかない藤宮くんは?
 誰かの中に……家族や、親族や、話してはいなかったけれどもしかしたら友達たちの中にも、自分が居ないのだと思い知らされた藤宮くんは、きっとこの虚しさを感じているに違いない。
 なら、藤宮くんが必要としている答えは?
「藤宮くん」
「…………?」
「私のことを見て」
 体を少し離して、藤宮くんの少し赤くなった瞳をジッと見つめる。
「私の心を感じるかい?」
「……わかん、ないです……」
「私は、キミが必要だよ」
「…………どう、して……?」
「さっき、藤宮くんが私のことを求めた理由が……私個人が必要なのではなく、私の持っている生活や物なのではないかと思ったんだ」
「…………そんな…………こと……!」
 小さく首を横にふる藤宮くんを見て、笑みがこぼれる。
「ふふ、分かっているよ。そうではないと感じた。そうではないと感じると、私は心が満たされる感覚がしたよ。私個人を必要としてくれていることを感じて、心が満たされる感覚がして……そうではないのかもしれないと思うと、心にぽっかりと穴が空く感覚がした」
「………………」
「藤宮くん、キミに求められて嬉しいよ。求められたいと思う。寄り添いたいと思う。キミの心を私が満たせたなら、嬉しいと思うよ」
「……」
「これでは、藤宮くん個人を必要としているって、感じられないかい?」
「………………」
 小さく、藤宮くんの首が横に振られた。
「でも、でも………………」
「ん?」
「…………きっと…………イヤになる、ので…………」
「どうして?」
「…………………………」
 藤宮くんの視線が、私を見つめて、チラリと視線を外して、また私の目を見つめた。
 藤宮くんの口が、キュッと結ばれて、少しだけ緩んで、鼻先が付きそうなくらい近づく。
 私の腰に回されている藤宮くんの手が、カタカタと震えているのが分かる。
 唾液を飲み込む藤宮くんの喉が、グン、と蠢く。
「……なるほど」
 藤宮くんの求めることが、分かった気がした。
 胸の奥が、くすぐったい。
「求めて」
 考えより先に、言葉が出る。
 前髪が、交差する。
 吐息が、混ざる。
 どちらが先に求めたか分からないくらい、お互いに少しずつ、少しずつ近づいて。
「…………ん……」
 ほんの一瞬、距離がゼロになった。
「………………あ……ぅ……」
「……はは」
 思わず、笑いがこみ上げてきてしまった。
「なんだか、気恥ずかしいな」
「! う……うぅぅ……!」
「ど、どうしたんだい?」
 藤宮くんが顔を押さえてうつむいて、鳴き声みたいな声を漏らしたかと思うとバッと顔を上げて、難しい顔で……”どうしてくれるんですか”みたいな顔で、私を見つめた。
「? ???」
「僕……僕、は……!」
 と。
 ぐぅぅぅ、と藤宮くんのお腹から大きな音が鳴り響いた。
「……はは。お腹空いたかい?」
「……は、はい……」
「ふふ。よし、ごはんにしよう。それからまたゆっくり話そう、何度でも話そう、良いかい?」
「…………」
 こくん、と。
 藤宮くんは頷いた。
「よし、それじゃあごはんだ」
 そうして私たちはベッドから立ち上がり、寝室を後にしたのだった。
 
 ………………。
 
 …………。
 
 ……。
 
 そんなやり取りをしてから、気が付けばひと月が経っていた。
「両馬さん!」
 書斎の扉を開けて私を呼ぶ藤宮くんの声は、だいぶ明るくなった。
「お昼ご飯、できましたよ!」
「あぁ、ありがとう。今日は何に挑戦したんだい?」
「あ……えと、今日はグリルでサバを焼いてみました!」
 もう使い慣れた二人分の食器。真新しい藤宮くんの箸、コップ。
 仕事をひと段落させてリビングへ向かうと、いつの間にか見慣れた光景がダイニングテーブルの上に広がっていた。
「……ちょっと、こげちゃったんですけど……」
「そうだね、少し香ばしそうだ」
「……むぅ……」
「ふふ、大丈夫。卵焼きの時だって、最初はこうだったろう?」
「……はぁい」
 席に着いて、向かい合って、手を合わせる。
「いただきます」
「……いただきます」
 まだ少し、いただきますを言いなれない様子の藤宮くんと一緒に食事を口へ運ぶ。
「……うん。美味しい。美味しいよ」
「ほんとですか!?」
 少しだけ大きな声をあげる藤宮くんは、すぐさまうつむいて。
「え、へへ……よかった……」
 小さな声で、照れたように呟きながら、はにかんでいた。
 藤宮くんの時間は、私との生活の中で回り始めたようだった。
 その証拠に、笑うことが増えた。
 平気そうに過ごすことが増えた。
 その代わりに……心の内を打ち明けるのは、少しだけ遠慮がちになってきたけれど、それも”自分で自分の気持ちを考えてみたい気持ちな時があるんです”とのことだった。
「あ……えと、両馬さん」
「ん?」
「その……」
 そして。
「夜、でも……今度、でもいいんですけど……お散歩、行きませんか……?」
 自分のしたいことを、自分から言ってくれるようになった。
「……ふふ。あぁ、いいよ」
「なっ! なんで……笑うんですかぁ」
「いいや、嬉しいと思っただけだよ」
「! ……なら、いい……ですけど……」
 少し拗ねたようにふてくされた顔で私を見つめる藤宮くん。
「藤宮くん」
「……なんですかぁ」
「誘ってくれてありがとう。私もちょうど、どこかお出かけしたいと考えていたところだったんだ」
「……ほんとですか?」
「あぁ」
「……へへ……」
 藤宮くんが、また笑う。
 そうして、再びご飯を口に運ぼうと思った時、ふと気が付いた。
 あぁ、思い出した。
 藤宮くんの笑顔が……私に向けられる笑顔が、心で繋がっているような気がしたのだ。
 インターンシップで、上手くいったとき。
 藤宮くんが「ありがとうございます」と笑顔で言った時。
 私を見つめる私が押し黙るくらい、私がこれまで築いてきた何もかもより大きい強さで、繋がっているように感じたのだ。
 心が、繋がったように感じたのだ。
 だから私は、彼の心に触れたいと思ったのだ。
「それなら、許してあげますっ」
 少しおどけて言って見せる藤宮くんが、すぐさま笑う。
「それはどうもありがとう」
「特別ですよ?」
「……あぁ、分かっているよ」
 箸を置いて、藤宮くんの手へ少しだけ触れる。
 藤宮くんが、少し驚いたような顔をしてから、照れたような顔をしてから、嬉しそうな顔をする。
「ありがとう」
「……はいっ」
 心が繋がる、音がした。
 
 ………………。
 
 …………。
 
 ……。
 
おしまい

bottom of page